「ガンバレ!ガンバレ!負けるな!負けるな!」
亡くなった祖母は、落ち込んだ私に理由を聞くこともせず、
数ある革製品の中でも、「ヌメ革」と呼ばれるものは、
新しく大人の仲間入りをする新成人は、
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子供の頃、時々遊びにきてくれていた祖母は、私が「また来て!」とせがむと、その度に「また遊びにきたいけど、次に会うのは多分ばあちゃんの葬式やね。」等と言って、私たち兄弟ををビビらせては笑っていました。そして更に・・「ほら!Hiroちゃん、ばあちゃんの足は半分棺桶に入ってるやろ?」と言い、元気いっぱい片足を踏ん張って見せてくれました。笑
自分の事を構わず、周りの人にありったけの愛情を注ぎ続けて、みんなから愛されてた。
本を読むのが大好きで、好奇心旺盛で、誰かの為に生きるのを生き甲斐としていたばあちゃんは、私にとって人生の師です。どんな事があっても「きつい」とか「つらい」等という言葉は口にせず、人の事ばかり心配してた。
亡くなる少し前に、初めて「痛い」と口走った時には、みんなが驚いたものです。
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上の記事のように、なんでもバッグや革に例えてしまうのは・・職業病です。笑
けれど、自分が携わっているモノの中に生き方を見出せる事は、生きていく上で「大きな力=生き甲斐」になると思います。
見過ごしてしまいそうな道路脇の小さな草花、誰の目にも触れないようなゴミに近い欠片など、どんなものでもそこに在るのは必ず意味があって、そう成るべくして形になったのだと思うんです。一枚の落ち葉に「美」を感じ、捨てられたモノに捨てた人の未来が写るように、モノに命を吹き込めるのは、人だけなのだから。
1つの区切りを自分の中で決めるのであれば、月日の長さよりも、心に響いた言葉や、人と人との繋がり。小さな事の積み重ね。そしてなにより、その時間分の重さだと思います。成人式を何回迎えても・・自立出来ずに依存し続けている人もいるし、未成年でもドキッとするくらい自立した人もいる。色々ですね。
そして、どんな日でも、一日を終えると言う事は、自分の人生を一日分消化したと言う事。少しでも良い一日を送れるように、人生の背景となる人たちへの感謝の気持ちと、関われると言う喜びを、いつも心に留めていたいですね。
読んで下さってありがとうございます。
SOSAKUYA Miyazaki Guest House Hiro.