2014年1月15日水曜日

生き方の加工法


「ガンバレ!ガンバレ!負けるな!負けるな!」
 亡くなった祖母は、落ち込んだ私に理由を聞くこともせず、手を大きく振りながらいつも応援してくれました。私が社会人になってからも、祖母が寝たきりになってからも、ずっと。変わらずそう言い続けてくれたことは、年を重ねるごとに胸の奥深く刻まれていくように思います。
 数ある革製品の中でも、「ヌメ革」と呼ばれるものは、植物性のタンニンで時間をかけなめされ、表面加工をほとんど施さずに仕上げたもの。革独特の素朴な匂いと人肌にも似た自然な手触りが心地良いものです。ナチュラルな分、デリケートなうえ傷つきやすく、使い方次第では痛むことも…。傷がついたまま放置すると、その傷は消えることなく残るのですが、人の手で触れ使うことで、傷は目立たなくなり、素材全体には、使い始めからは想像もできない、美しい色つやを増すのです。深みを帯びた素材には、小さな傷さえ美しく写るもの。傷つくことを恐れず、使うことで深みを増す―。人も革製品もそれが何よりの「加工法」なのかもしれません。
 新しく大人の仲間入りをする新成人は、革に例えるとナチュラルなヌメ革。大きな夢をいっぱい描きながら、良い艶(つや)を増していってほしいと願っています。



子供の頃、時々遊びにきてくれていた祖母は、私が「また来て!」とせがむと、その度に「また遊びにきたいけど、次に会うのは多分ばあちゃんの葬式やね。」等と言って、私たち兄弟ををビビらせては笑っていました。そして更に・・「ほら!Hiroちゃん、ばあちゃんの足は半分棺桶に入ってるやろ?」と言い、元気いっぱい片足を踏ん張って見せてくれました。笑

自分の事を構わず、周りの人にありったけの愛情を注ぎ続けて、みんなから愛されてた。
本を読むのが大好きで、好奇心旺盛で、誰かの為に生きるのを生き甲斐としていたばあちゃんは、私にとって人生の師です。どんな事があっても「きつい」とか「つらい」等という言葉は口にせず、人の事ばかり心配してた。
亡くなる少し前に、初めて「痛い」と口走った時には、みんなが驚いたものです。




上の記事のように、なんでもバッグや革に例えてしまうのは・・職業病です。笑

けれど、自分が携わっているモノの中に生き方を見出せる事は、生きていく上で「大きな力=生き甲斐」になると思います。
見過ごしてしまいそうな道路脇の小さな草花、誰の目にも触れないようなゴミに近い欠片など、どんなものでもそこに在るのは必ず意味があって、そう成るべくして形になったのだと思うんです。一枚の落ち葉に「美」を感じ、捨てられたモノに捨てた人の未来が写るように、モノに命を吹き込めるのは、人だけなのだから。


1つの区切りを自分の中で決めるのであれば、月日の長さよりも、心に響いた言葉や、人と人との繋がり。小さな事の積み重ね。そしてなにより、その時間分の重さだと思います。成人式を何回迎えても・・自立出来ずに依存し続けている人もいるし、未成年でもドキッとするくらい自立した人もいる。色々ですね。
そして、どんな日でも、一日を終えると言う事は、自分の人生を一日分消化したと言う事。少しでも良い一日を送れるように、人生の背景となる人たちへの感謝の気持ちと、関われると言う喜びを、いつも心に留めていたいですね。

読んで下さってありがとうございます。



SOSAKUYA Miyazaki Guest House   Hiro.